南美唄6丁目、終点です 労災病院経由
思い出のバス待合室 美唄ターミナル
中央バスのバス路線見直しで廃止になって久しい南美唄6丁目線。美唄駅前から自衛隊前経由の南美唄6丁目行きと、12号線からストレートに行く路線がありました。
私の記憶のある範囲では、小学生の頃、15分おき、中学生の頃20分おき、高校生の頃45分おき、と減便されていき、コースも「労災病院前」経由となったと思います。そして、大学生の頃には、時間を調べないと乗れないというような、一日数本路線になり、大学院生の頃ついに廃止となってしまいました。ターミナルもなくなっちゃいました。昔は美唄からも道内各地にバス路線が伸びていたのに・・・ 確か、滝川や留萌もあったような・・・。
現在は美唄自動車学校のBIJIKOバスがバス路線を守り、さらに南美唄の中の方まで運行してくれているので、本数は少ないが大変ありがたいことである。
時代の流れと言えば、専修大学北海道短期大学も平成23年から学生募集停止。どんどんさびしくなりますねぇ。
ブログランキング参加中・お手数ですが「ポチッ」とひとつお願いします☆
スポンサード リンク
この記事を読んだ方はこちらの記事も読んでいます(where go表示)
前の記事:「1964年(昭和39年)ダイヤ改正時刻表の復刻版」
次の記事:「現在地:京都」
関連のありそうな記事(YARPP表示)
自動的に表示できる関連記事はありません。
前のページにはブラウザの『戻る』でお戻りください。


南美唄というと元炭鉱で栄えた町ですね^^
当時の炭鉱の社宅は、電気、水道など 光熱費はすべてタダだったこともあり、
どの家庭も全部屋(トイレまで)電気をつけている家が数多くありました。
南美唄は炭鉱にしてはめずらしく平地にあるJR函館本線沿いの地域なので
夜、札幌方面から列車で来ると、宝石箱をひっくりかえしたようにキラキラと、
山並みにとても綺麗な夜景が広がり、それが見えるともうすぐ美唄駅ということで
皆、降りる身支度をしていました。
炭鉱が全盛期の時は、小学校も一学年15クラスにもなり
炭鉱病院も第一、 第二・・・外科など、まるで大学病院の教授のように
スタッフを何人も引き連れて回診をしていたそうです。
お盆には
賑やかに子供盆踊りが終わると今度は大人の盆踊りで、
北海盆唄が鳴り響く中、踊る方も見るほうも何重にも輪になって
夜遅くまで踊り明かしたり・・・。
そんな華やかだった炭鉱でしたが、
閉山後は毎日のようにクラスから友達が転校していったそうです。
今では歯が抜けるように家も無くなり、雑草が風に揺れている寂れた町、
JRの窓から目を凝らすと
暗闇の中にやっと見える ポツンポツンと立っている街灯の光・・・
特別、裕福でも貧しくもなく、石炭ストーブの煙突を真っ赤にして
アイスクリームを食べていた時代ですが、
でも何だか未来も明るくて、希望が持てたあの頃だったのではないでしょうか。
札幌への一極集中と地方の過疎高齢化・・・
今、朝はタイマーの石油ストーブで部屋も暖まりとても便利な生活ではあるけれど・・
何ともいえぬ不安いっぱいの暗い世相ですね。
地元がこちらなので廃止にされたのはSHOCK弟酢。市バスと連携して循環バスにしたらいいのに。