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十勝沖地震津波画像 2003年9月26日 釧路市

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 平成15年9月26日午前4時50分頃に地震が発生し、道東を中心に大きな揺れを感じました。震源は釧路沖で、震源の深さは約42キロ、地震の規模を示すマグニチュード(M)は8・0。釧路町、厚岸町で震度6弱を観測し、道内全域で大きな揺れを観測しました。

冬は地震が少ないわよ

 釧路に入って家を決める時に不動産屋の人がこんなことを言っていました。そんなわけないのにね。この景色のよい家でのんびり独身生活を満喫していたある日、地震は突然やってきました。

釧路市材木町の自宅から市内を眺める

 この日も残業でヘトヘトに疲れ、日をまたいでの帰宅でした。やっとひと眠りしたと思ったときの突然の揺れでした。大きな音とともに身体は激しく揺さぶられ、家の中にあるものが滑るように動き出しました。あまりの衝撃にすぐに地震とは思えず何が起こったのかよくわからない状況でした。とっさにMDコンポを押さえ、立ち膝状態で耐えていると突然窓が開き、「何で窓が開くんだよぉ!!」と思いながら必至に耐え続けました。崖の上に住んでいたので 「くっ!くっ!くっ!くずれるー!」 と恐怖を感じ始めたころで徐々に揺れが収まり、何とか事なきを得ました。

 冷静になってようやく「これは地震だ」ということがわかりました。石狩地方にある実家に電話をすると、こちらの話を聞く前に「激しい地震があったんだよ!」と興奮状態で話になりませんでした。そして、上川地方に住む彼女(現妻)に電話をすると、「ふにゃふにゃ」と寝ぼけていてこっちも話にならない。まぁ、どこも無事なようでよかったとします。

 この地震では停電にならなかったのは幸いでした。部屋を見回すとあちこちにヒビが入っているし、いったいどうなるのか不安になりました。

 「あ”っ!!!!」ここで、テーブルの上のラーメンのつゆに気付きます。いつもは食器を洗ってから寝るのに、この日は残業で相当疲れていたこともあり、食べっぱなしで寝ていました。それもほとんどスープは残したままで、それがこぼれているではありませんか。それがあと一歩のところで、カーペットには落ちなかったのが幸いでした。よく見ると、これがまた、テーブルの上にだらしなくバスタオルを置いていた事が幸いしたようでした。今思えば体に悪そうな生活をしていますね。

テーブルの上が悲惨なことに…床にこぼれなくてよかった。
目次

「津波警報」発令

 テレビをつけるとすでに津波警報が発令されていました。今のようにスマホにお知らせが来る時代ではないので、テレビでの情報収集は大切です。窓の外からは隣の釧路町の防災無線が聞こえてきました。後に、釧路市が防災無線を流さなかったことについて非難されることになります。

津波撮影

 5:00をまわり、外の様子を見ていると、釧路川を津波の第一波が遡上していくのが見えました。「津波だ!」手元にあったカメラを持ってとっさに撮影したのがこの写真です。明らかに波ですよね。

釧路川をさかのぼる津波

 この写真を撮影した当時は、「津波」の恐ろしさなど全く知りませんでした。この写真みたいに、いつもより強い波が来る程度だと思っていました。後にスマトラ沖の地震や東日本大震災で発生した「津波」の映像を見て、普段の大波とは全く違う種類の現象だということを知りました。この程度で済んで本当に良かったなと今になって思います。

海水でかなり増水した釧路川

 干潮に近い時間帯だったはずだでしたが、気が付くと川の水位が高くなっていました。水位が上がる大潮と重ならなくて助かりました。町の中に海水が押し寄せると思ったら怖いですね。

強い引き潮が起こした現象

 津波が通過してしばらくすると、今度は激しい引き潮のようです。2kmほど上流にある釧路町木場の木材置き場から大量の木材を掴み取るようにして川の水が海に戻っていきました。材木が一本、また一本と流れでてきて、気が付くとこんなにたくさんの材木が流れ出していました。林業の方からしたら勘弁してほしいですよね。

上流から下流へとどんどん流れていきます。

 津波が第2派、第3派と繰り返し押し寄せる中で、材木は上流へ下流へと行き来しました。次第には支流にも入り込んでしまいました。これ、かなりの太さですよ。回収するのも大変そうですね。

遠いので大きさは分かりませんが、近くの建物と比較するとかなり大きい木材です。

川の水がかなり引いた状態

 引き潮の後、川の水の流れが止まった状態。水面に建物の影が映っています。大きな丸太が川岸に打ち上げられています。

短時間で海の水が引いていきます。木材が川岸に残っています。
周りをみるとまだまだたくさん漂っています。

 昼過ぎにはタグボートが出てきて材木の回収が始まり、回収作業は深夜まで続きました。

市内の様子

壁が剥がれた建物が多数

 この日は午後からの出勤でした。出勤の途中に町の様子を撮影すると、壁がはがれた家がいくつもありました。ホテルは壁が剥がれ落ち、断熱材がむき出しの状態になった家もありました。

職場の上司からは、「なぜ地震直後に来ないんだ!」と叱られました。

えー・・・・と思いましたが、当時の私は若かったので、ただ「すみませんでした」と謝りました。

私が上司の立場なら、まず部下の安否確認をして、出社は状況に応じて判断すると思います。大きな余震によって帰宅困難になったり、2次災害に遭ったりする危険もありますよね。

壁が剥がれ落ちてすき間が空いたようになっています。
断熱材がむき出しです。家の中もきっと大変な状況なのでしょう。

JR北海道への影響(釧路の状況)

 駅に行っている間にも震度3クラスの余震が2回ほどありました。情報によると、札幌から釧路にむかっていた「特急まりも」が直別で脱線し、さらにその他線路でも被害が発生したそうです。地震後約1ヶ月に渡りダイヤに影響がありました。もちろん、この日は終日運転を見合わせでした。

釧路駅発着の列車は全列車運休

帯広~釧路間以外はバスの代行があるのかな?

トロッコに乗っての目視。自転車のように漕いでいるのか、動力があるのかは不明です。

線路を点検しています

市外の状況

 旭川に向かう途中の国道392号で撮影した写真です。余震に対する注意を促す表示だと思いますが、「地震発生」はちょっと違うような気がします。

国道の情報表示 1カ月くらいこの状態でした

 そして、これは1ヶ月ほど経ったあとの国道38号で撮影したものです。 路肩を示す矢印や道路わきの電信柱が左右に大きく乱れています。

結構乱れています

その後

 この地震では人的な被害は少なかった事が幸いでした。もしこれが冬だったら…。その後、日本でも世界でも大きな地震がおこり、甚大な被害がでています。いつ発生するかわからない巨大地震。私は「携帯電話」「財布」「車の鍵」「めがね」を置く場所を決めるようにしました。車に入る事ができれば、移動できなくても暖はとれるし、ラジオも聞けます。今回の経験を生かしていきたいものです。

小・中学生向けの「日本の地震」についてよくわかる本。言葉も簡単でイラストも多く、それでいて専門的な内容もしっかりと載っている素晴らしい本です。小学校高学年の子はとても興味深く読んでいました。

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